1年前の週末も、雨




もうこのブログはインターネットの海に放り投げたつもりだった。たぶん見返すこともないはずだった。けど、働くことにも慣れてきて思い出すのは私の愛おしい大学時代の日々、1Kのアパートで生き抜いた4年間。今の私に導いてくれたあの時間を忘れることはできないなあと思う。



1年前の週末は大切な試験があって、そこに向けて私は身も心も奮い立たせて勉強をしていた。だいぶ勉強した。何ヶ月か勉強モードの頭だったから暗記物もするりと覚えられたし、試験の傾向に合わせて脳味噌が鍛えられていくあの感覚は今思えばそれなりに楽しかった。

前泊のために目黒に降り立つと雨が降っていて、折り畳み傘を開いたことをはっきりと覚えている。黒塗りでおしゃれな街灯があって、その脇に立ち止まって傘を開いたってところまで。

ゲストハウスを予約していた。着くとフランス人のお姉さんがいて、オーナーのお兄さんと3人で話をしたりした。翻訳の仕事もしている院生のお姉さんは、自分の手帳に近代の短歌を書き写していて(俵万智みたく生活感や人の温度のある短歌で、作者は忘れてしまった)、偶然出会った人なのにすごく感動した。お姉さん、今はどうしているのかなあ。

その宿はなぜか、お兄さんの友達が何人も入り浸っていて、夜になると土方のお兄さんとか役者のお兄さんとか中国人のお兄さんとか、いろんな人が出入りしていてえらいこっちゃ、と思った。英語もフランス語も中国語も飛び交うリビングで、一本だけなら…と缶チューハイで乾杯して、「明日の試験がんばってね!」なんて言われたり。雨音を聞きながら、いろんな人、いろんな仕事、いろんな人生があることを私なりに感じた夜だった。

私は何者になるのか、まだわからなかった夜。


慣れないベッドで眠りも浅く、午前4時に公園を散歩して、宿の誰かのサンダルと傘を借りてふわふわと歩いた。

4時なのに犬の散歩をしている人がいて、早起きの人にも早起きの犬にもびっくりした。

目黒の朝マック、働きに行く人もこれから家に帰るような人も勉強している高校生もいた。

本当に、周りにはいろんな人がいる。

試験が終わり(今まで頑張ってきてよかったァ…)って脱力して、その足で吉祥寺の弾き語りを聞きに行った。更に新宿に行って大学の先輩に会った。いろいろ頑張ってきたんでしょ、お疲れ様って美味しい魚料理をご馳走してくれて、次の日には学問の神がいる神社に一緒にお参りに行ってくれた。別れ際「次、いつ会える?」と聞かれ、それを言わせたから私の勝ち…と正直思った。その人が今の彼氏。短期間でいろんな人と関わった、出会いの濃縮還元って感じの週末だった。


1年前、私はまだ何者でもなかった。それが不安で眠れない夜もあったけど、(これから何かになれる、なるんだ)とがむしゃらに努力して掴んだ今の居場所に満足している。

東京ではないけれど、今住んでいるこの街も今週末は雨降りで、雨音を聞きながら去年のことをたくさん思い出した。

1年前の自分は、まさかこんな風に働いているとは想像もしなかった。今の私はPDCAサイクルを生徒にどう教え込もうか、ぐるぐると考えてるんだよ、小論指導をするために自分でも小論文の勉強をしてるんだよ、なんて1年前の自分に伝えたら、頭の周りにはてなマークがいくつも現れてしまうんだろうな。そういうこともするなんて想像つかなかったから。でも大丈夫、楽しく働いているし大切な人が支えてくれている。



来年の私は今よりもっと成長していますように。このブログをまた放り投げても自分が辿った思い出を愛し続けられますように。



そういえば職場の人の車に乗ってる時、たまたま流れてきた放送に聞き覚えがあった。高校の頃聞いてた高橋優のラジオ。まだ続いていたんだね。懐かしくってラジコでまた聞くようになった。それだけ。




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満月に捧げるミサの記録

ライブハウスは教会だ。好きなバンド同士のツーマンスリーマンも好きだけど、ワンマンライブは祈りを捧げるミサと同じだ。とっておきの2時間。あの時間、フロアにいるお客さんの数だけ祈りがあって、願いがある。みんなが同じ曲を聴きながら違うことを考えている。だからミサなんだと思った。



ひょ〜、この先とんでもなく大きくなるんだろうなってバンドのワンマンがあった。丁度11ヶ月前に恵比寿でワンマン達成した彼らは、去年の23倍は大きいライブハウスを若者で埋め尽くして、45倍はパワーアップしていて、67倍かっこよくなっていた。とにかく真っ直ぐだった。あ〜、これはこの先も好きでいたいな、このバンドがわたしの人生を彩ってるわ、と考えた。他の人がどんなことを考えているのかはわからないけど、真っ直ぐ突き上がる沢山の拳と、ステージの光でほんのり浮かび上がる隣の人の高揚した横顔が楽しさを語っていた。拳が美しかった。



この曲を友達に教えられてから沼にはまったんだったなぁ、これは夏の夜に口ずさんだなぁ、これは去年の恵比寿で聴いた時もすごかったなぁ、これを聴きながら大変な試験勉強を乗り越えたよなぁ、そういえば最近、黒歴史だと思っていた昔の恋が美しい思い出になってふと思い出されるなぁ、彼らのように真っ直ぐ生きられたら迷いも悩みも怖くないだろうなぁ、あぁ、11ヶ月経って私は何か変わったのかな、失ったものは何だろう、得たものは何だろう


これが私が2時間かけて考えたことです。11ヶ月前は確か、バ先の理不尽さに対して「おりゃ〜!」って思ったし、自死した知人のことを考えた気がする。自死はいけないよ、って思った気がする。あれからもう一年近く経って、それしか道がない、と考えてしまう人の気持ちも少しはわかった気がしているし、だからこそ私は生き続けたいなと思う。あることに対しての視点が1つから2つになったのは大きな成長だ。

田舎から出てきて東京で踏ん張る彼らはよく東京について歌うけど、私は自分の人生の舞台を東京ではなく地方に決めた。とりあえず3年は地方で踏ん張るからな、あなたたちは私の元までエネルギーを届けてね、なんて考えたりもした。


あ〜そうか、私が失ったものって大学生活11ヶ月分の時間。卒業までのカウントダウンが加速している。

失ったものはそれだけで、その時間で数え切れないくらいのものを得たし、きっと私は成長できてるな。



ここ数回のライブは、イヤリングの片っぽとかドリンクチケットとか何かしら落し物をしていたけど、今日は手に握っていたロッカー代をどこかに落とした。この癖に自分で笑ってしまう。




「最高な時」って、気付いた時には終わっているらしいけど、私は2時間ずっと「サイコ〜!」って思ってたよ、KOTORIありがとう、今夜は満月だ



初めて見た流れ星のこと



クリスマス


私はバイトだし彼氏は仕事が終わったあと歯医者に行くらしい。私たちの25日はあっけない。



一人で寝る夜に思い出すふたご座流星群の話。

この前彼氏んちで寝ていた週末の土曜、ふと夜中に目が覚めた。スマホを見ると3時半。ツイッターをぱらぱら眺めたら「ふたご座流星群のピーク!」っていうのがトレンド入りしていて、あ〜そういえば数日前からなんとなく聞いてたな、と思い出した。私は流れ星をこの目で見たことがない。

目が覚めたし一人で見にいこうかな、でも私がいないことにもし気づいたら彼氏心配しちゃうかな、と思って、寝てるその人にそっと「流れ星みてくるね」って囁いた。コート着込んでマフラーして、、、と考えていたらまあその彼氏は起きてしまって「どこいくの〜?ふにゃふにゃ…」って声をかけてくれて、うんぬん話をしたあと2人で外に出た。

外はめちゃくちゃ寒かった。満点の星空だけど風がびゅうびゅう吹いていた。2人で自販機の缶コーヒー買ってぴったりくっついて歩いた。彼氏はとても寒がり(なんてったって九州出身!)だから、スノボのウェアを上下着込んでいた。そこまでしてまで私のわがままを聞いてくれることが嬉しくて、この人のこと好きだ〜と思いながら隣を歩いた。



2人でいつか散歩した道を辿って、公園に続く小さな橋まで歩いた。そこまで来ると街灯も減って、あとは流れ星を待つだけだ。

じーっと空を見上げていると、つーっと光が流れた。おおお。一瞬だった。結露した窓を伝う水滴のような光が一瞬だけ見えた。

これが流れ星…すごい綺麗  わあ〜〜

3回お願いごとをするなんて無理じゃんね、こんなに一瞬なんだね、と笑いながら30分くらい2人静かに空を見上げた。首が痛くなった。


5分あたり2、3個くらいだったと思う。気が向いた時に空を伝う光は月やオリオン座のあたり、あとはカシオペア座のあたりでよく光った。


1時間くらい2人で外にいた。寒いよ寒いよ〜って言いながらベッドに潜って、朝の10時まで寝た。



この人と付き合いだしてから、私たちはいくつかの旅行先でたくさん綺麗なものを見てきた。それは日本アルプスの山々だったり、そのアルプスの中に佇む青い池だったり、神々しい神社だったり、日本一星空が綺麗な村から眺めた朝焼け・日の出・雲海だったり、とにかく自然に関するものが多い。

この人といたら、その先もっともっと綺麗な景色を見れるのかなぁ、そうだといいなぁ、と思う。あと、この人が何かの壁にぶつかってしまった時、誰よりもそばにいたいなぁと思った。なんでこのタイミングなんだろうか。




こうして誰かと人間関係を築いて、その関係が続いていくのって簡単じゃないと学んだから、良い関係を続けられるよう努力しようとぼんやり思っている。この人に対しては最初(都合の良い関係のままがいいな、気づいたら終わってるくらいがちょうどいい)としか思ってなかったのに、季節が2つ移ろう間にとても大切な存在になった。この関係、続けていきたいなぁ。




優しい大人




あぁ、今日限りできっと私は、優しい大人のことを忘れるだろうと思った



下北沢の一駅隣のライブハウスで、その1番後ろの壁に寄りかかってぼんやりと演奏を眺めながら、そう思った

3組でるうちの真ん中のバンドを知らなくて、あぁ予習しとけば楽しかっただろうなと思いながら時間をやり過ごした。その2組目はマイクのエコーが効いていて、汗をよく撒き散らすボーカルがいた。そんなに暑いん?と冷静に考えた。盛り上がるフロアとは逆に私の頭はスッキリとクリアになって、ふとライブ友達のお兄さんを思い出した。


5月に2人でこんな感じのライブを観に行った。今日みたく後ろの壁に寄りかかりながらフロア全体を眺めて、たまにお互いの耳元に口をぐっと近づけて話をするのが好きだと思った。

今思えばあの人との時間はほんの一瞬だった。間違って恋心を抱いてしまうところだった。あの頃の私は自分の力で立つのも心もとないほど弱っていたから、人と心を通わすことができてすごく救われた。また自分で歩き出すことができるようになるための時間だった(と勝手に思わせてください ごめんなさい)。


大人って楽しいよ、自分のやりたいことを追求するのが人生だよ、子どものバックグラウンドよりもその子自身を見ないといけないよ、夕方5時から世界が深まるんだよ


そんなことを教えてくれた。1人浮かれて突っ走ろうとしていた私からそっと離れるように、私が間違ってしまわないように、お兄さんは気付いたらラインのトーク履歴のずいぶん下の方に埋もれていた。



そんなことを友達に話した。心の中でぼんやりとしか残っていなかった気持ちを、その子の前で初めて言葉にした。

そしたらその子は「とっても優しい大人だね」と言っていた。

今はもう思い出だから美しく脚色してしまうけど、確かに、大人ぶって説教することもなく、高らかに自分を語ることもなく、私の年齢や性別を搾取するようなことも一切なかった。ただ楽しい音楽を共有してお互いの人生を俯瞰するだけの友達だった。


雨が降った街で〜うんぬん、と歌うバンドを見ながら考えた。あぁお兄さんと見た景色にそっくりだ、なんかもうこの先、もう思い出すこともないんだろうなぁ。あの時間と優しい大人、ありがとうさようなら。

優しい大人はきっと今日もいい音楽を聴いているし、私はこれからも好きな音楽を聴き続ける。たぶんばったりライブで会うなんて二度とないし、連絡を取ることもない。一度線が重なった人生と人生は、こうやってまた別の方向に進んでいくのかなって最後に考えた。







この街にも雪は降る、君は知らないだろう?



夜のキャンパスを散歩したり海まで行って日の出を見る友達がほしい、けどいない。

2、3年前の私ならここでかなり悲しくなって、「孤独だ…大学生活って孤独だ」と泣いてたはずだけど今の私は違う、「友達作りをしなかったのは自分の責任だし、夜のキャンパスなら1人で行けるのでは??」って考えて行ってみた。少し寒いけどお腹は空いていないからコンビニに寄ったけど何も買わなかった。本当に、ただの散歩。


22時を過ぎる頃のキャンパスは、案外人がいた。体育館前、サークル棟、正門前、街灯の下のガラス窓、駐輪場、と各所から笑い声が響いてきた。あぁみんな、大学生活が永遠だと思ってるんだなぁ、それが永遠じゃないと気づく頃にはリクスー着て「シューカツ…ゼミ…ソツロン…」って呪文のように唱え出すんだよね、わかる。出来ることならこの若さのままでいたい。大学を卒業して私がどうなるかなんて考えたくもない。


眠りについて終わらせてしまうのが惜しい夜を、みんなキャンパスでやり過ごしているんだな、と思った。私はこうして日記を書きながら1人の夜をやり過ごす。




そういえば後輩バンドマンのライブに行ってきた。私が目をつけていた天才的センスの17歳と対バンをしていた。〇〇っぽいバンドだねと形容しがたい後輩のバンドは、どのコピーをしても「それはお前の歌か?」と周りから言われるらしい、天才だ。何にもはまらない彼ら4人は、私がいくら追っかけたって雲を掴むかのようにひょいひょいと逃げていくんだろうな。だから追っかける気にはならない。



この街にも雪は降る、君は知らないだろう?

という変哲も無い言葉に音が重なると、私がとても好きな歌のサビになる。音が乗るだけでぐっと痺れるフレーズになる。それってかっこいい。 

夜のキャンパスは思ったより普通で、だけどいつもより奥行きを感じた。




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デネブとアルタイルとベガ




星座は結構とんちんかんだから10月になっても夏の大三角形が見えるし、冬じゃなくても冬の大三角形が見えたりする。神話の神々は人間味に溢れてるからそこんところ笑ってごまかしそうな気がする。

飲み屋の光でピカピカ眩しい下北沢、酔ってふらふら歩く人たちにぶつからないように天を見上げると大きな三角形が見えて嬉しくなった。




今日は久しぶりにセンチメンタルになった。その後自分のアホさが爆発して念願の弾き語りライブに遅刻して泣いた。なんとか辿り着いたバーで、私が見たかった憧れの人にその話を笑い話にして話した。で、泣きたくなるほど温かい言葉をもらってまた泣いた。




私は大学2年くらいから、映画のチケット、旅行先の入場券とかを貼るアルバムを作っている。そういえば最近貼り付けてないな、と思って、覚悟を決めて開いた。今の彼氏とこの前旅行した時の諸々のチケット類を貼りたくなったから。そうしたらぶわ〜っと溢れてきた前の人との思い出。

そう、私たちはたくさんの場所に出かけたんだった。関西、広島、沖縄、北海道、3年間2人で過ごした間にたくさんの場所に出かけて、“この人とこれて良かった”って心の底から思ったあの日々を思い出してしまった。これをアルバムに貼るとき、“2人でいつか見返して思い出話をしよう”と思って、チケットには一言二言そえていたことも。


今までのページを全て破って、チケット類をその古いページから引き離して、また新しく作り直すことにした。もうそれは“彼氏との思い出”ではなく“私の大学生活の思い出”に訂正して作り直すことにした。今の彼氏との思い出もこのアルバムに残したいからね。


各地方の入場券とかチケット、2人分並べて貼っていたものを一枚だけ引き離して、新しいページに貼り続けた。ほんとに最近、昔の恋を思い出すことがなくて“私って薄情なのかな…”とか思っていたから、これを開いて溢れ出てきたセンチメンタルに自分でも驚いた。あぁ私、この人のこと好きだったよなぁ、3年間、私の大切な歴史だなぁ、たくさん出かけてたくさん笑って、いつでも楽しい2人だったなぁ。 

敢えて普段来ないような駅から遠いカフェに来ていたから、アルバムの古いページも、それに一枚ずつ残ったあの人の分のチケットも、カフェを出るときにゴミ箱にねじ込んだ。たぶんこの先このアルバムを開いても、このセンチメンタルは香らないだろう。全て私ひとり分のチケットだし。一言もメモを添えていないし。もう来ることがない場所に、もうこの先思い出すことのない記憶を捨ててきた。この先は今の彼氏と思い出を増やしていくんだ。




その後私のうっかりでバーを間違えて、“ここか?”と思って開けたドアはキラキラした美容院で、もうスタートの時間を過ぎていたし、“楽しみにしてたのに今日間に合わないじゃん…”って道端で泣いた。アホか私は。一駅ぶん走って走ってなんとか目的地について重たいドアを開けたら憧れの人が“それでは二曲目”ってちょうど喋ってた。後から聞いたらどうやら私がまだ来ないから10分待っててくれたらしい。優しすぎる。

その人の歌を聴くと、自分がすでに忘れたと思っていた郷愁の思い、昔の恋への温かい気持ち、そういうのを思い出して優しくなれる気がする。ファンへの向き合い方も一流で、遅れて入った私に話しかけてくれたり、帰る間際にメッセージ付きの歌詞カードをくれたりした。最後色々話したとき、「道を間違えてもきちんとここに辿り着いたように、しっかり前に進めてるんだね。」って優しい目で言ってくれて力が抜けそうになった。

最寄りのコンビニに飛び込んで買ったマヌカハニーののど飴と写ルンですを差し入れた。この人もこの人のバンドも、これから先ずっと応援していたいな。大きくなってもならなくても、健康に元気に歌を歌っていてほしい。


人のあったかい部分に直に触れて、今夜はものすごく満ちている。 私は前に進めている。




夏ってだけでキラキラしてた、あの気持ちが好きだった





人生で1番落ち込んだ春、私は誰かに愛されるのに向いてないのかなとか消えちゃいたいなとかすべてしんどいなぁとかたくさん思いつめていた春。

バーのマスターとその友達のおじさんズ、満開の桜、あと音楽に救われたりして悟りを開く勢いで毎日を精一杯生き延びた春。


そんな春の後に史上最高の夏が来るなんて思いもしませんでした。まる。



私の22年間のすべてを総動員して受験を乗り越えて誰かに大切にされる喜びを知って、着の身着のまま気の向くまま遊び呆けた夏が気づいたら終わっていた。

私は夏生まれだから夏が大好きだ。ありがとう



秋に感じるセンチメンタルを微塵も感じないままに9月が終わりそう。夕暮れに涙したり透明な秋空を見上げて立ち尽くしたり、今まで経験してきたセンチメンタルを今年はあまり感じていない。大人になってしまったのかも。悲しい

セプテンバーさんはどうしてあんなに22までの私に響いたんだろう。23の秋、なぜだかあまり聴いていない。




最近、ライブに行くよりデートとか友達との予定を優先している。私の中で何かが変わってきている。ライブハウスに求めていたものは何だったんだろう。汗か、感動か、生音か、一体感か、自分を受け入れてくれる安心感か。  

このまえ行ったライブは、私と毛色が違うバンドが対バンで来ていた。ファンが怖かった。音楽を全身で享受する喜びをフルパワーで表現していて私は隅っこに追いやられた。怖かった。音楽はとてもいいものだったけど。

あぁ私ってきっとしんみり聴いていたいんだ、あまり動かずに静かに聴ければそれでいいんだ〜って気づいてしまって、そしたら無理にライブハウスに通わなくてもいいのかなぁってなった。私はそういう人間だ。




人生のゴールを決めてそこに向かって努力をするスタイルだったけど、そうじゃなくて、色々経験して嗜んでいくその先に自分の理想のゴールが描けてくるんだろうなと最近思う。って昨日の夜彼氏が言っていた。あまり中身のある会話をする私たちではないけどその時の彼氏の声は真剣だった。かっこいいなって思った。