怪獣の腕の中で眠ろうね



案外私みたいな人多いのかもしれないだろうけど、私は自己肯定感が低い、イメージするなら水場にあるティッシュ。すぐに濡れてもうダメになるアレ。文房具で例えるならちいさくなっちゃった消ゴム、すぐどこか行っちゃう。まったく頼りない。


メルカリで買った毒親についての本を読みながら、“あ〜今まで気づいてなかったけど、私の性格の全てはあの家のせいか”ってしみじみ思った。自覚することもできないくらいに、この私の全てはあの家での19年間によって形成されていて、それはもう取り返しのつかないこと。でも過去にとらわれ続けるだけじゃ変われないから私はこの先の自分のために強くならないとなあと思う。

こんなに家のことでなよなよする人もいるのに、「家族でディズニー♡」ってインスタに載せてる同級生がいてびっくりした、住む世界が違うね。




接する子どもみんなに“幸せになってね、大好きだよ”と心の中で思うのは、そうしてくれなかった親と自分は違うんだ、私はちゃんと愛情を注ぐことができる人間なんだと自分に言い聞かせるため、自己有用感を上げるためってある人に言われた。他者へ注ぐ愛情すら自分のためなのか、他者のためなんてのは建前で、結局自分が可愛いのか、なんて自分が汚いやつに見えてしまった。  

でも私が思う“大好きだよ”は歪んだ気持ちではなくて、ほんっとうに“この先自分の手で自分の幸せを掴んで行ってね、あなたの人生を応援してるよ”の気持ち。



私は仕事ができないやつだから今日もまた怒られた。たぶん店長は尻を叩いて鼓舞するくらいの気持ちだろうけど、バイト始めたてで何も分からなくて居場所もなくて、“心が死ぬ…”って思ってたあの頃を思い出した。こんな馬鹿みたいなやつがロックな音楽を聴いてるなんて知られたら、みんな気持ち悪がるかな、音楽に申し訳なさすら感じるな、なんて考えた。

帰り道、ポケットに入れたスマホから爆音でクリープハイプを流しながら、フレーズを口ずさみながら、“こうしてこんな私のそばにいてくれる音楽、ありがとう、この曲を通してあのライブの高揚感を思い出すし一緒にクリープハイプの話をした友達のことも思い出せる、うぅ…”って感極まってしまった。“ロックは弱者のためにある”って誰かが言っていた気がする、その通りだ。曲がり角を曲がったら絵の具の原色みたいな綺麗な色の月が見えて、見守ってくれてありがとうって気持ちになった。


今日思ったことはそれだけです。

夜も遅いから、怪獣の腕の中でみんな眠ろうね。

そんなこと言っておきながら、この時間になるとガリレオガリレイの真夜中の歌が聴きたくなる