優しい大人




あぁ、今日限りできっと私は、優しい大人のことを忘れるだろうと思った



下北沢の一駅隣のライブハウスで、その1番後ろの壁に寄りかかってぼんやりと演奏を眺めながら、そう思った

3組でるうちの真ん中のバンドを知らなくて、あぁ予習しとけば楽しかっただろうなと思いながら時間をやり過ごした。その2組目はマイクのエコーが効いていて、汗をよく撒き散らすボーカルがいた。そんなに暑いん?と冷静に考えた。盛り上がるフロアとは逆に私の頭はスッキリとクリアになって、ふとライブ友達のお兄さんを思い出した。


5月に2人でこんな感じのライブを観に行った。今日みたく後ろの壁に寄りかかりながらフロア全体を眺めて、たまにお互いの耳元に口をぐっと近づけて話をするのが好きだと思った。

今思えばあの人との時間はほんの一瞬だった。間違って恋心を抱いてしまうところだった。あの頃の私は自分の力で立つのも心もとないほど弱っていたから、人と心を通わすことができてすごく救われた。また自分で歩き出すことができるようになるための時間だった(と勝手に思わせてください ごめんなさい)。


大人って楽しいよ、自分のやりたいことを追求するのが人生だよ、子どものバックグラウンドよりもその子自身を見ないといけないよ、夕方5時から世界が深まるんだよ


そんなことを教えてくれた。1人浮かれて突っ走ろうとしていた私からそっと離れるように、私が間違ってしまわないように、お兄さんは気付いたらラインのトーク履歴のずいぶん下の方に埋もれていた。



そんなことを友達に話した。心の中でぼんやりとしか残っていなかった気持ちを、その子の前で初めて言葉にした。

そしたらその子は「とっても優しい大人だね」と言っていた。

今はもう思い出だから美しく脚色してしまうけど、確かに、大人ぶって説教することもなく、高らかに自分を語ることもなく、私の年齢や性別を搾取するようなことも一切なかった。ただ楽しい音楽を共有してお互いの人生を俯瞰するだけの友達だった。


雨が降った街で〜うんぬん、と歌うバンドを見ながら考えた。あぁお兄さんと見た景色にそっくりだ、なんかもうこの先、もう思い出すこともないんだろうなぁ。あの時間と優しい大人、ありがとうさようなら。

優しい大人はきっと今日もいい音楽を聴いているし、私はこれからも好きな音楽を聴き続ける。たぶんばったりライブで会うなんて二度とないし、連絡を取ることもない。一度線が重なった人生と人生は、こうやってまた別の方向に進んでいくのかなって最後に考えた。